「なんとかなる」のその先へ(母と口グセ)
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唐突な話ですが、急に思いついてしまったので…。
うちの家庭は、経済的に不安定だった。有り体に言って、そう、今はやりの貧困世帯の手前ぐらいになっていたんではないかと思う。 父が職場で問題を起こし*1、そして躁鬱病で寝込み、胡散臭い環境対策製品の営業に乗り出したり、結局、最後に離婚したりと乱気流、あるいはジェットコースターのようだった*2。
で、その母の口グセの一つが、「(きっと)なんとかなる!!」であった*3。
結果どうだったか?
そう、確かになんとかなった。…なんとか、ね。
でも代償は大きかった。私が就職してほぼ一年で母は肺ガンでこの世を去った*4。真面目で頑固で愛国心の強い、昭和世代の残り滓的な、まあ一言でいうと頑張りすぎた。良妻賢母になろうとして、そのどちらも失敗した。離婚は子供のために良くないからと、必死だった。子供を育てるのが母親の一番の仕事だ、自分が頑張らなきゃ、と必死だった。
しかし実際のところ、子供の側からすると「早く離婚したらどうか」と思っていた。そして父の家庭内暴力と、子どもたちの意見によって離婚した。
もっと早く母に離婚を促して、でもって早いとこ就職すればよかったかと今でも思う。
余談はさておき、本題に入ろう。本エントリのテーマは口グセである。「思考は現実化する」だの、「言葉は思考をつくる」とかそういう話である。 いい加減結論を書いてしまうと、
もしうちの母親の口グセが、「なんとかなる」ではなくて、
「(人生が)(きっと)上手くいく!!」であったらどういう結果になっただろうか?
ということである。
結婚後の母の人生はその口グセどおり、ギリギリ何とかなった、という生き方だった。子供の学費も、自身の入院費も、葬式代さえも…。
「節約」だとか「やりくり」だとか、、そんなチャチなものでは断じてない。「なんとかなった」というやつである。
一家の大黒柱がまともに働かずに子供が3人。そもそも晩婚で年齢的にも体力的にもきついという状況で、仕事もなかなか見つからなかったはずである。
それでも「(不思議と)なんとかなった」のである。
もしもあの母が、あの頑迷とでもいうべき頑固さで、うまくいくとか、お金が入ってくるとか、それこそツイてるといつも繰り返していたら断然違ったのかなと思う。実のところ、うちの両親は「言葉の力」というフレーズを協議の一つに掲げる宗教団体に不完全ながら加入していたのだ*5。
結局何が言いたいのかというと、ふと「なんとかなる」というフレーズが脳裏をよぎったとき、もっとポジティブなフレーズに言い換えたらいいんじゃないか、という話。
別に難しいことではなくて、「大丈夫。きっとうまくいく!!」とかそんな感じ。
いわゆるポジティブシンキングではなくて、ニュートラルよりちょっとだけポジティブ側へ。どうせ自分に言い聞かせるなら、ちょっとでも自分に都合のいい方へ。及第点よりもうちょっとだけ上へ。
亡き母より少しでも後悔の少ない人生を送りたい。と、思う次第。
そんなこんなでもう2月。今日はここまで。